たまたま The New York Times を読んで知ったのだが、今年はマグナカルタ(日本語訳だと、大憲章)ができてからちょうど800年目だそうだ。
マグナカルタはイングランド国王とその臣下の貴族たちとの規約を文書化したもので、これが制定されのは1215年6月15日。
一昨日は、ちょうど800周年記念日だったというわけ。
ぼくはこの文書については、高校の世界史の授業で習った。

当時、フランスとの戦争に負けて財政的にも貧窮したイングランド国王ジョンは、あらたな増税で乗り切ろうとした。
これに反発した貴族たちが結集して、国王に自分たちの権利を認めさせた。

これは立憲主義が生まれる貴重な瞬間でもあった。

マグナカルタの規約によれば、国王といえども法の支配下にあり、その権力を恣意的に行使することは許されない。
また、イングランド国民は正当な法と裁判の手続きなしに、その自由、生命、財産を侵害されることはない。
いまでもイギリスでは、マグナカルタは憲法を構成する基本法典の一つなのだそうだ。(もっともイギリスは慣習法があるのみで、成文の憲法はないそうだが・・・。)

一昨日はマグナカルタの800周年記念日で、イギリスやアメリカの各地でメモリアル行事が開催されていた。
CNNやエコノミストやThe New York Times などの主要メディアもこぞって特集記事を寄稿していた。
ぼくなんか、これらの記事を読んではじめてマグナカルタの歴史的意義を知った次第なんだけれど・・・。(汗)
世界史の授業では大学入試のために、とりあえず名称と年号を覚えただけだったから。
いまの大学入試は知らないが、当時は理系志望者でも国立受験では社会科目を一つ選択する必要があった。

⇒Magna Carta, Still Posing a Challenge at 800

The New York Times の記事を読んで、憲法や安保法案をめぐる、昨今の国会での不毛な論争を横目で見ながら、ぼくはこんな風に思った。

ぼくのロジックなんぞ、専門の憲法学者が読めば綻びだらけのぼろぎれみたいなものかもしれないが・・・。
ぼくはもともと理系だし、法律の勉強なんて車の免許取得のために道交法を覚えたくらいのものだから。(汗)
もっとも、故・尾吹善人教授が言うように、憲法学者とは憲法を楯(タテ)にとって非常識なことを平気で主張するちょっとおかしな人の集団なのかもしれないが・・・。

マグナカルタでも分かるように、憲法とは権力者の恣意的な権力の行使を制限して、国民の権利を守るための基本的なルールブックだ。
憲法はちょくちょく変更しない方がいいと思う。

一方で、日本国憲法の第9条は国の防衛政策を決めたものだ。
防衛政策は、そのときの財政状態や敵の軍事力などによっていくらでも変わるものだろう。
実際、9条は何度もその解釈を変えてきた。
事実上、9条は何度も改憲されているのと同じだ。

例えば、
吉田茂内閣(1946年)の9条解釈では、「自衛権の放棄」。
鳩山一郎内閣(1954年)では、「自衛権の保有」。
田中角栄内閣(1972年)では、「個別的自衛権の行使に限定」。
鈴木善幸内閣(1981年)では、「集団的自衛権を保有するが、行使できない」。
⇒憲法第9条とそれをめぐる解釈

ぼくは国の防衛政策はその時代と状況において変わるものだし、当然変わるべきだと思う。
正当な選挙で選ばれた内閣がもろもろの状況を考慮して、国の防衛政策を決めるのは当然の権利だから。
そうであるならば、国の防衛政策の裁量をあらかじめ制限したような第9条は、憲法の本文からとっとと削除した方がいいと思う。

参照記事
安保法案あげつらう余裕はない
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